THE CLASSICAL   
    LONG PLAYING RECORDS  
    GUIDE  
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    Deutsche Grammophon   RCA Victor   EMI   Columbia   DECCA   Philips  
西暦   ドイツ・グラモフォン   RCAビクター   英国グラモフォン   英国コロンビア   米国コロンビア   デッカ   フィリプス 西暦
1888               ジェリー・リピンコットがエジソンの特許を買い取り円筒式蓄音機のリース会社としてノース・アメリカン・フォノグラフ社を設立。(1894年倒産)全米に地区別の子会社をつくりその一つが「コロンビア・フォノグラフ」(ワシントンDC地区)を創立。(コロンビアの名称由来はDC(ディストリクト・オブ・コロンビア)から)         1888
1894   ドイツ移民エミール・ベルリナーが(1851年ハノーヴァー生まれ、1870年米国移住)ユナイテッド・ステイツ・グラモフォンカンパニーを創設   アメリカン・グラフォフォン(ベル研究所のチェチェスター・ベルとサムナー・チンターが1886年に創設)を買収         1895
1895   ベルリナーがグラモフォンをアメリカ市場で売り出すべく、フィラデルフィアの投資家たちと企業連合 ベルリナー・グラモフォン社を設立。程なくエルドリッジ・ジョンソンの協力でゼンマイ仕掛けのグラモフォンを考案(ジョンソンは後にビクターの母体となるコンソリディティッド・トーキング・マシン社を設立)米国内では、当初、製造をベルリナー・グラモフォン社、販売をフランク・シーマンのナショナル・グラモフォン社、特許をユナイテッド・ステイツ・グラモフォン社で運営していた                 1895
1897               米国コロンビア・フォノグラフの子会社として【英国コロンビア】を設立             1897
1898   エミール・ベルリナーが生まれ故郷ドイツのハノーヴァーに英国グラモフォン社の子会社としてプレス工場を設立、これが「ドイツ・グラモフォン」の始まり。まもなく販売と製作も行う。       ベルリナー・グラモフォン社のヨーロッパ進出のため,弁護士ウイリアム・オーエンが特許権利をベルリナーより依託され、ロンドンに「英国グラモフォン」を設立                 1898
1899       ライヴァルの円筒製造会社(グラフォフォン)がグラモフォンの製品を特許侵害として提訴。これを契機として、以前より利益分配をめぐる不満がシーマンをライバル社に加担させる。結果、グラモフォン敗訴。ベルリナーは製品の製造禁止命令を受ける。(企業連合 ベルリナー・グラモフォン社解体)ベルリナーより製品の製造委託を受けていたエルドリッジ・ジョンソンは発注を打ち切られる。この窮地に、彼は新しい録音方法とはるかに改良された再生手段を考案し、蓄音機とレコードを製造するコンソリディティッド・トーキング・マシン社を創設。   画家フランシス・バローが描く円盤プレイヤーに耳を傾ける愛犬ニッパー(ブルドッグとテリアの雑種)の絵(題名は”His Masters Voice”)をオーエンが購入。(ベルリナーはその絵を1900年に全米特許庁に商標として登録,英国でも12月に登録商標)                 1899
1900       1月にベルリナーがニッパーの絵をレコードの別紙解説に始めて使用、コンソリディティッド・トーキング・マシン社も広告に登場させた。                     1900
1902       グラモフォン機器を製造・販売するコンソリディティッド・トーキング・マシンを母体としてビクター・トーキング・マシン社(ジョンソン60%、ベルリナー40%の株式比)が設立される。この結果ベルリナーと英国グラモフォンの関係は切れ、ユナイテッド・ステイツ・グラモフォンカンパニーは消滅、米国からグラモフォンという商標も消滅した。                     1902
1906                   社名をコロンビア・グラモフォンと改称         1906
1907       英国グラモフォンと米ビクターは世界を2分したテリトリーを設定。日本を含むユーラシア大陸とアフリカ、オーストラリアが英、南北アメリカとハワイがビクターとした                 1907
1909           ニッパーの絵をレーベルに使い始める。”His Masters Voice” は後にその頭文字をとってHMVの名で世界中で親しまれる                 1909
1910           ”His Masters Voice”が商標の一部となる。                 1910
1917   第1次大戦中、敵国資産としてポリフォン(株)に吸収され、ニッパー商標の使用はベルリナー・グラモフォン社の管轄を外れる。戦後、グラモフォン社の提訴でニッパーの使用が国外では認められず、輸出用にポリドールという商標を作る                         1917
1922               米国コロンビアより独立             1922
1925   電気録音を導入   電気録音を導入   電気録音を導入   ドイツ・リンフォストローム社(レーベルはパーロフォンとオデオン)を買収、英グラモフォンに次ぐ世界第2位のレコード会社に急成長   電気録音を導入         1925
                電気録音を導入              
1926           ドイツのグラモフォンに代わる支店としてエレクトローラというドイツ支店を開設、ドイツ国内では、ニッパーの使用は認められなかったが、国外で売られるものについては、その使用が認められた                 1926
1927       日本法人日本ビクターを設立           放送局CBSを開局 また日本国内で日本蓄音機商会と提携、日本国内でコロンビアレコードの販売を開始         1927
1928               フランス、パテ・マルコニ社を買収              
1929       RCA(Radio Corporation of America)がビクターを買収、RCAビクターが誕生               元株式仲介人エドワード・ルイスが設立     1929
1931           世界大恐慌を機にその苦境を乗り越えるべく英グラモフォンと英コロンビアが合併、EMI(Electric and Musical Industries Ltd)が誕生             1931
            アラン・ブラムラインが”サウンドの送信、録音、再生システムの改善”という題名で特許申請し(注@)1933年に受理される。その中にステレオシステムに関する多くの特許が含まれていた。彼のアイデアは27年後にステレオLPとして各レコード会社より商品化されることとなる。              
1933                           ヴァン・ぜーレン(アムステルダムでレコード店を経営)がデッカのプレス工場を作る。 1933
1939               元子会社のCBSが米コロンビアを買収         1939
1941   シーメンスの資本下に入る。                   ffrr(Full Frequency recording)という画期的な高録音方式を開発      1941
1945   1930年代後半にドイツで開発されたテープレコーダーを使った磁気テープによる録音技術が第二次大戦後、各国で取り入れられ様々な技術向上が図られた。テープレコーダにーよる録音技術の向上である。(テープレコーダーではアメリカのアンペックス社が特に有名。)これにより、テープ上の編集が可能となり、プロデューサー、録音技術者、テープ編集者、カッティング技術者といった職人たちの技術、感性等がその後のレコードの出来を益々左右する結果となった。             1945
1946   磁気テープによる録音開始                       電機メーカーフィリプスの傘下に入る。 1946
1947                   磁気テープによる録音開始         1947
1948   .               6月、33と3/1回転のLP盤発売(ワルター指揮ニューヨーク・フィル、ミルシュタインVnでメンデルスゾーン「バイオリン協奏曲」ML4001)(注A)         1948
1949   ニッパーの使用権をEMIに返還、新たにイエローチューリップラベルを採用   1月、45回転EP盤を発売(注A)   ドイツ国内でのニッパーの商標使用権を取戻すが、1953年のエレクトローラ・ドイツのLP発売までニッパーは再登場しなかった。       アメリカでLP盤を先行販売(ロンドンレーベル)      1949
        磁気テープによる録音開始   磁気テープによる録音開始       磁気テープによる録音開始      
1950       LP盤を発売               ffrr方式のLP盤発売(ミュンヒンガー、シュツットガルト室内管弦楽団 バッハ ブランデンブルグ協奏曲4.6番 LXT2501)   自社レーベルで録音を開始し、フィリップスレコード社が設立される 1950
1951   LP盤を発売(フリッチャイ指揮ベルリン・フィルのメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」LPM18001)                       LP盤を発売 1951
1952           10月LP盤を発売(チャイコフスキー 交響曲5番 カンテリ指揮ミラノスカラ座フィルALP1001、コロンビア系のレーベル第1号はカラヤン指揮フィルハーモニア交響楽団 R・シュトラウス「ドン ファン」)同時に米コロンビアとの提携を廃止。エンジェルレーベルを発足させる。             1952
    当時録音カーブの特性は、各レコードレーベルごとにばらばらであったが、この年の6月にアメリカレコード協会の定めたカーブに統一された。          
1953   (このアメリカレコード協会の定めたレコード用の再生特性のカーブを”RIAAカーブ”と呼ぶ。)         1953
    ※RIAAはアメリカレコード協会 ( Recording Industry Association of America ) の略称           
1953       初めての2チャンネルステレオ録音、ストコフスキー指揮の管弦楽団によるエネスコの「ハンガリー狂詩曲2番」ほか               垂直−水平(V-L)方式のステレオ録音の実験開始(のちに正規規格となった45/45方式とは別規格)     1953
1955       2チャンネルステレオテープ発売(ライナー指揮シカゴ交響楽団 R・シュトラウス「英雄の生涯」ほか)   2月、キングスウェイホールにて、ステレオ録音開始。ニコライ・マルコ指揮フィルハーモニアによるプロコフィエフ交響曲7番。またこの年後半に米キャピトル(ハリウッドのレコード会社)を買収、       バイロイト音楽祭にて「ニーベルングの指環」全4部作をステレオ録音(ヨゼフ・カイベルト指揮、しかし独唱者の契約問題から、発売は2006年テスタメント社から)     1955
1956       英EMIが米キャピトルを買収のため、同社との提携が切れ、同社のヨーロッパでの発売は英デッカを通じて発売           ステレオ録音開始   米RCAビクターの販売権を取得     1956
    米ウエストレックス社(WESTREX)が 45/45方式のステレオディスクを発表、          
1957   RIAAが英DECCAのV/L方式との比較の結果米ウエストレックス社の45/45方式を採用したことにより各レコードがこの方式によるステレオレコードを発売する         1957
    (1930年台のアラン・ブラムラインのアイデアが四半世紀を経てやっと実を結ぶ結果となった)          
1958   10月、ステレオLP発売(ベーム BPOによるR・シュトラウス「ツァラトウストラ」SLPM136001)   6月、ステレオLP発売。フィードラー指揮のオッフェンバック「パリの喜び」LSC1817。それらはLIVING STEREOと命名された   10月、ステレオLP発売、第1号はビーチャム指揮のR・コルサコフ「シェラザード (グラモフォン系のレーベル)ASD251。コロンビア系のレーベルでの第1号はレオポルド・ルドウィッヒ指揮フィルハーモニア管ギレリスのベートーベン・ピアノ協奏曲5番 SAX2252   7月ステレオレLP発売(レスピーギ「ローマの松」ほか)   7月、ステレオLP発売 ffss(Full Frequency Stereophonic Sound)として自社の録音の優秀性をアピール(アルウィン指揮ロンドン交響楽団 チャイコフスキー序曲《1812年》SXL2001、8月、ショルティ指揮、ウィーン・フィルによる「ニーベルングの指環」全4部作のスタジオ録音開始、65年完了)     1958
1962   オランダ・フィリップスとそれぞれ50%出資の合併会社フォノグラムレコードを設立                       ドイツ・グラモフォンと業務提携、合併会社フォノグラムレコードを設立 1962
1968       RCAレコードと社名変更           ソニーとの合弁会社CBSソニーレコード設立         1968
1972   シーメンスとフィリップス両者合弁の管理会社ポリグラムが設立され、両者のレコード部門(グラモフォン、フィリップス)は、その傘下に入る                       ポリグラムの一員となる 1972
1975       RCAと日本ビクターが合併、RVCが発足                     1975
1979       4月16日 米サウンド・ストリーム社のデジタル録音機器を使って初めてのデジタル録音。(オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団によるバルトーク「管弦楽のための協奏曲」)               1月1日ボスコフスキー指揮ウィーンフィルによる「ニューイヤーコンサート」をデジタル録音、春にデジタル録音レコードとして販売     1979
1982   CD発売   CD発売   CD発売   CD発売   CD発売   CD発売 1982
                               
        (注@)ステレオシステムに関する特許の主なものは以下の通り                  
        ●間隔を置いたペアマイクで録音した音を2つのスピーカーから方向性をもって再生するシャッフル回路              
        ●レコードの溝を左右45度に傾け、V字型90度の左右の面に左右両チャンネルの音を刻む方法              
        ●ステレオカッティングヘッドの考案                      
         (1957年アメリカ・ウェストレックス社がこの45/45方式のカッティングヘッドとカートリッジを開発、その後レコード会社各社がこの方式を採用          
         ステレオレコード時代の幕開けとなる                      
                               
        (注A)1947年6月米国コロンビアがLPレコードを発表した際、他メーカーにも参入を呼びかけたが、RCAビクターだけは、その申し出を断った。        
        RCAビクターは独自の方法を開発、翌年に45回転EP盤(Extended Playing Record)を発売する。直径は17cmで演奏時間は5分程度。          
        盤中央に4cm弱の穴が空いており、演奏時にはプレイヤーのスピンドル(軸)に穴を埋めるアダプターを装着して演奏する。シングル盤、ドーナツ盤とも呼ばれた。      
        その後、両社の話し合いの末、両社の規格は併用という形で決着する。                  
        EP盤の出現はその価格とともに、ポピュラー音楽の楽曲の演奏時間にとてもマッチし、後のポピュラー音楽の隆盛に決定的な役割をは果たす結果となる。